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大分地方裁判所 昭和60年(タ)32号 判決 1987年1月29日

原告 島野一義

被告 島野昭子

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告との間の長男博和(昭和57年7月19日生)の親権者を原告と、同二男秀敏(昭和59年9月13日生)の親権者を被告と、各定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文1、3項と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の事実上の主張

一  請求原因

1  原告と被告とは、昭和54年4月28日に婚姻届をし、主文2記載の各男子2児をもうけた。

2  原告は、婚姻当初から交通会社に勤務する普通のサラリーマンであり、被告も、家庭の主婦として通常の家庭生活を営んできた。

3  ところが、被告は、昭和60年1月ころ、「○○○○○○」という宗派の宗教活動を始めた。

4  その結果、被告は、右宗教活動を第一とし、その上で円満な家庭が築けると主張するようになり、家庭を第一として夫婦相和し、子供らを含めた円満な家庭生活を理想とする原告との間で、論争をするようになつた。

また、被告は、原告の帰宅が遅くなろうが、はた又子らが発熱しようが、これらの事情を一切考慮せず、週に3回行われる宗派の集会には必ず出席するようになつた。

また更に、被告は、原告の両親とも全く意思の疎通を欠くようになり、原告の家族や家庭は、両親、夫婦及び子らとの間の相互の情愛の交流を全く欠く状態となつた。

5  原告としても、何とか従前の家庭生活に戻すべく、被告と何度も話し合いをしたが、被告は、原告の右の意思を無視し、唯自己の行動の正しさを主張するのみであつた。

6  以上のように、原、被告間には、夫婦としての情愛及び意思の疎通を全く欠いており、婚姻を継続し難い事由があるので、本訴請求に及ぶ。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1乃至3の事実は認める。

2  同4の事実のうち、被告が週3回の集会に出席していることは認め、原告の考えについては知らない。その余の事実は否認する。

もともと、原告の両親が被告を島野家の嫁としてあれこれ注文付けたりするため、これが原因となつて、原告との夫婦関係にも溝を生じ、度度離婚話も起きていたので、被告もこれに悩みを持つていたところ、夫婦間の在り方をも教義の一内容とする○○○の教えに接し、これを家庭生活に取入れようとの考えから、宗教活動に参加するようになつたものである。

被告の集会への参加は、火曜日午後7時30分から10時30分まで、金曜日午後7時から10時45分まで、反び日曜日午後3時から5時までの3回であり、これに参加するときは、帰宅時間の一定しない原告の食事、風呂などの準備を済ませるなど、主婦としての仕事を疎かにしない範囲内で参加していたものである。子供は幼いため四六時中一緒にいなければならないし、子らを集会に同伴することは、子らに霊的にも社交的にも訓練になるとの考えからである。子供の具合の悪い時には、先ず医者に見せてその許可が出たときのみ集会に連れていつたもので、決して病気の子を無理に同伴したことはない。

また、原告は、各宗教の混然とした習俗的行事を家庭での行事として認めるもので、被告の○○○の信仰と相容れないような特段の信仰や宗教心を有しているわけではない。

3  同5の事実は否認する。

4  同6の主張は争う。

5  被告の宗教活動は、家庭を犠牲にした上でのものではないから、これを理由として離婚を求めるのは根拠のないことである。原告が離婚を求める真の理由は、被告が島野家の嫁として原告の両親に気に入られなかつたこと、或は被告の信仰する宗教と島野家のそれとが相容れないことにある。前者については、家の制度を否定する現行法体制下では到底容認できない論理であるし、後者も含めて、現在では、むしろ被告としては、被告の信仰により長男の妻として同家に尽くすことをも認めるに至つており、個人の宗教の自由の観点からしても、これらの理由は離婚事由となりえない。

6  仮に、被告と原告の両親とが折り合いが悪いことに起因して原告の被告に対する愛情が失われたとしても、その破綻原因には、右の対立を調整しようとしなかつた原告にその一端の責任がある。

原告は、昭和60年2月以降、被告が集会から帰宅したときや聖書の話をしたときには、必ず暴力を振るつたり、蒲団での就寝を許されなかつたこともある。その後、原告は、実家で別居しようと何度か長男を連れて家を出ようとしたが、被告がこれを必至に止めたことがあつた。しかし、被告は、同年4月21日長男を連れて自宅を出て実家に戻つて以来、帰宅しない。被告は、原告に対し、帰宅して家族皆んなで一緒に暮らせるように、度々懇願しているし、逆に被告自らが次男を連れて原告の実家へ行き、一緒に暮してもよいとも考えている。

第三、証拠関係〔略〕

理由

一  いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第1及び第3号証、第2号証の1、2、証人清水正夫の証言、原告及び被告の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  原告(昭和27年5月30日生)と被告(昭和28年5月27日生)は、共に大分市にある○○ストアーという会社に勤務していたが、昭和52年ころ恋愛し、被告は同社を退社したうえ、昭和54年4月8日挙式し、同月28日婚姻届をした。2人の間には、昭和57年7月19日長男博和が、昭和59年9月13日次男秀敏がそれぞれ生れた。

結婚して、2人は、原、被告の各実家に近い宇佐市に住み、被告は、それから美容の修業をしたうえ、長男出生まで美容師として勤めに出て共働きをした。その後は電気関係の内職をする程度であつた。婚姻当初は、後述の実家の問題を除き、夫婦仲はとりたてて悪くはなかつた。

2  原告は、4人兄弟姉妹の長男で、その両親(原告らの婚姻当時、52歳と50歳位)も共に健在であり、将来はこの両親と実家(兼業農家)をみる立場にあつた。そのため、原告は、婚姻前、被告に対し、将来は長男夫婦として実家に帰り両親の面倒を見ること及び母親の身体が弱いので盆や正月などには実家の手伝いをすることを注文し、被告もこれを受け入れていた。

3  しかし、婚姻後、2人で度々原告の実家に帰るうち、被告は、原告の父から、長男の嫁として配慮が足りないなどと何度か意見をされるうち、些細なことまで気にするようになつて、実家に帰るのが気重くなり、その両親を嫌うようになつた。ために被告は、実家に帰るのを嫌がるようになり、また原告に対しても実家に関わり過ぎるとの不満を持つに至つた。他方、原告は、長男として両親に対する責任があつて、被告に対し、時々実家に帰るよう求めるため、このことで2人の間にも波風が立つようになつた。

4  そして、昭和58年正月、原告の父が被告に、長男の嫁だから暮にはもう少し早く帰つてくるよう強く意見したため、被告が島野家の嫁ではないと反発して紛糾した。このことがあつて、被告は、その後間もなく原告に離婚を申し出たので仲人を入れて話し合つた。その結果、原告が父親のことを詫び、その間の調整に努力するので2人で一緒に再出発しようと説得したため、被告も了解してこの際はなんとか治まつた。

そこで、被告は、同年のお盆には原告の実家に帰ることになつたが、被告としては、右両親に対する気持の整理が十分にできないまま帰ることになつたうえ、この際も原告の両親から、「実家を省みない。嫁として仕込んで上げる。」などと言われたため、再度紛糾し、今度は原告も被告に加わつて、2人で原告の両親と激しい口論となつた。このことがあつて以降、被告はもとよりとして、原告までも被告の気持を考えて1年間実家へ帰らなかつた。

その間2人は大分市に転居した。

5  しかし、原告としては、いつまでも実家を放置できないし帰らねばとの気持ちが強く、被告は反対に2度と帰る気持がなかつたため、段々と互いの溝が深まり、互いに気持が離れて行つた。昭和59年の暮を迎えて、2人の間の対立も強くなり、遂に、原告も被告に対して、「長男の嫁として原告の実家に帰れ、帰らぬのならば離婚しよう、おまえはその実家に帰れ。」と言い、被告は、「原告の実家には帰らぬ。」と答えるなどした。ために再度離婚話となつたが、決着がつかぬまま、原告は長男のみを連れて1年振り実家へ帰り、被告は次男を連れて被告の実家へ帰つた。

以上の事実が認められ、右事実によれば、原告と被告との間は、昭和59年の暮の時点においても、ある程度の破綻をしていたものとみられる。

二  前掲の各証拠によれば、更に次の事実が認められる。

1  被告は、前段の様な経緯から生じた精神的不安から逃れ、夫婦関係が改善されてはとの動機から、兼ねて実姉が信仰していた○○○○教の一派である「○○○○○○」に関心を抱くようになり、昭和60年1月ころから、原告には秘したまま、同派の教書を読み、集会にも参加するようになつた。当初は日曜日の午後2時間のみの参加であつたが、1月余り経過したころからは、他の週日2日も午後7時過ぎから約1時間余の集会にも参加するようになつた。

2  原告は、予ねてから、職場の同僚がその妻の○○○の宗教活動に困惑していたことを見聞し、同宗派を嫌悪していたし、このことは被告にも話したことがあつた。ところが、同年2月ころに被告の入信を知り、被告に「自分が○○○を嫌つていることを知りながら入つたのか。」と言つて責め、辞めるように説得したが、被告は聞きいれなかつた。それで、そのころ、原、被告、双方の両親、親族及び仲人が集まつて話し合い、原告から被告に、「○○○を辞めるよう、辞めねば離婚する。」旨話したが、被告は辞めるのを拒否した。

3  同宗派は、○○○○教宗派のうちでも独特の教義、戒律を持ち、これを厳格に守ろうとするもので、被告も、正月、雛祭、七夕等の日本古来の、現在は風俗的行事と化した風習も、神の教えに反するとして拒絶し一切行わず、また、隣近所の冠婚葬祭の付き合いもしない。子の教育に関しては、武器を持つ職業や公害産業、闘争的スポーツを不当として、子供にはこれらの職業に就かせたり、スポーツをさせない旨日ごろ主張し、日本の政治や現状は狂つているとの認識を持ち、選挙権も信仰上の信念に反するとして一切行使せず、家計や共働きについても宗教第一との考えで、宗教活動を優先させている。

他方、原告においては、島野家の宗旨は仏教ではあるものの、神仏を崇拝し、日本の風俗風習に疑がわず従い、近所付き合いを疎かにせず、実家や両親を大切にし、日本の政治や現状も肯定すると言う極く平均的日本人の考え方を持つている。ために被告のような考え方につき我慢できないほどの不満を持つている。

4  被告は、日時が経つにつれて、信心に熱心となり宗派の組織との結びつきや宗教活動を強めた。週日の2日の夜の集会も7時過ぎから10時半過ぎまでの3時間半にも及ぶようになり、更にこれだけでなく、週日3日奉仕活動として一般家庭への伝導活動に従事している。被告は、これらの集会や奉仕活動には幼児2人を連れて行つており、その帰りは冬でも夜10時を大きく廻つた。原告の帰宅が午後7時過ぎることも多いため、原告の夕食は簡単に準備されて食卓に置かれていることもあるが、原告が帰宅して1人で準備して夕食をとることも度々であつたし、風呂はいつも沸かされてなかつた。原告は被告に、集会等に出かけるのを控えるように度々求めたが、被告は、多く参加するほど霊的に成長するとして耳を貸さず、時に子供が熱を出しても少々のことでは連れて出るし、原告が子供が怪我しているので家に居てくれと頼んでも、それを押切つて、怪我した子を原告に預けて集会に出かけた。

5  この様な生活を続けるうち、原告も我慢出来ず、熱を出した子を連れ出したことや宗教活動のことで被告を殴つたり、帰宅した被告と子を自宅に入れなかつたりするようになつた。ために、被告は、実姉の家に行きそこで過ごしたり、何日間か暮らしたこともあつた。そして結局、昭和60年4月21日ころ、原告は長男を連れて原告の実家へ帰り、被告及び次男と別居することになつた。

6  以後、原告は長男と実家の両親と暮らし、被告は、大分の自宅で、原告からの若干の仕送りとアルバイトの収入で次男と共に生活し、前記同様宗教活動に熱心に従事している。

その間、原告から調停の申立がなされたが、被告が離婚に反対のため、同年5月29日不成立で終了している。現在でも、被告は離婚を否定しているが、原告は離婚意思は固く、その夫婦生活に全く自信を失つている。以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

三  叙上の事実に照らし、本件離婚事由の存否につき判断するに、夫婦間においても信仰や宗教活動の自由が保障されており、これを尊重すべきことはもとよりのことであるが、他方、本件の様な専業の主婦とその夫という夫婦間においては、その妻は、家事労働に従事することは当然として、加えて、夫と共に配偶者や家族全体が平穏に安心した家庭生活が出来るように精神的融和を図り、更には親族、知人、近隣の人達との付き合いを円滑にするように努めるべき、いわゆる夫婦間の協力義務を負うのである。従つて、宗教活動等も右協力義務により、自ら一定の限度が存するもので、その限度を超えるような宗教活動等を行い、夫や家庭を顧みない場合には、右協力義務の観点から、夫婦関係を継続し難い重大な事由が存すると解するを相当とする。

そうして、本件においては、前記一に認定の事実によつても、原告と被告との夫婦関係は或る程度の破綻が生じていたところに、更に前記二に認定のとおり、被告の信仰、これに根づく行動や宗教活動等破綻状態を決定づける事情が加わつたものである。これらの活動等は、もはや原告の妻としての協力義務に背馳し、その限度を超えるものであり、夫や家庭よりも宗教活動を第一義的に考え最優先させようとするものである。しかも、被告は信仰を絶ち難く、宗教活動を中止する意思は全く伺われない。他方、原告にとつては、被告の信仰の対象を嫌悪し、その宗教活動を不愉快と感じているのであるから、被告との夫婦生活が精神的にも絶え難いことは明白であり、原告にとつては、被告が右信仰を辞めることが婚姻生活を継続するための必須の条件である。これらの状況に照らすとき、原告と被告との婚姻は、もはや継続し難い程度に破綻しているものと認めるのが相当である。

尤も、被告は、本人尋問で、「原告を愛している、○○○を学んで原告への愛情は一層深まつた、努力すれば一緒に暮らせる、夫に従う、原告の実家で生活してもよい。」等と供述しているが、原告、被告各本人尋問の結果によれば、被告は、右信仰は堅持し、奉仕活動等宗教活動は、原告に嫌われても続けるといい、全ての行動はまずもつて神の教えに従つて行うという信念は変わらず、これらの点での妥協の意思は全くないこと、離婚に反対するのも教義がこれを禁じているからであり、神が夫を愛しそれに従えと教えるので、愛している等述べるもので、それは表層的、観念的なものに過ぎないものではないかとの疑を払拭できず、被告の前記供述は現実的なもの、又は実践可能なこととは到底考えられず、原告、被告の婚姻の破綻を左右するまでには至らないものと考える。

四  叙上の認定によれば、本件離婚は破綻していてこれを継続し難い事由があるから、原告が被告に対して求める本訴請求のうち、離婚を求める部分は理由があるから認容する。また、前記認定の事実関係のもとでは、原告、被告間の子のうち長男博和の親権者には原告を、次男秀敏のそれには被告を、それぞれ指定するのが相当と認める。

よつて、訴訟費用につき民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川本隆)

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